大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和30年(あ)572号 判決 1957年4月19日

上告人被告人

林慶三

弁護人

野尻昌次

外三名

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人野尻昌次の上告趣意は判例違反を主張する点もあるが所論引用の大審院判例は本件に適切でなく、又違憲をいう点もあるが、その実質は採証の法則違背、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当らない。弁護人比志島竜蔵、同岸星一、同萩沢清〓の上告趣意第一点は、判例違反をいうけれども、所論引用の最高裁判所及び各高等裁判所の判例は、いずれも刑訴三二八条により証拠の証明力を争うために提出された証拠はこれを犯罪事実認定の資料とすることはできないという趣旨のものであるところ、所論渡辺勝一の検察官に対する供述調書は、記録(第一一七丁)によれば刑訴三二一条一項二号の規定により検察官から証拠調の請求がなされたものであり、しかも被告人側においてこれを証拠とすることに同意していること明白であるから、所論引用の判例はいずれも本件に適切でない。同第二点は憲法二八条違反及び判例違反を主張する。しかしながら、原判決の認定した事実の要旨は「被告人は新日本窒素肥料株式会社水俣工場の工員で同工場労働組合の執行委員統制部長であるが昭和二八年一二月一八日午後九時二〇分頃……同市々役所前を通りかかつた際、偶々同市自由労働組合長谷本孫太郎外多数の組合員が越年資金要求のため同市役所内に押し掛け、市長不在のためいわゆる坐込戦術に出て、右谷本等において総務課長渡辺勝一に対し善処方交渉中……応援のため直ちに同課長室に到り、……応答もなく沈黙のまま翌日開催の水俣市議会に提出すべき書類の作成、閲覧等の公務を続行する同課長の態度に憤慨し、矢庭に同課長から同人が閲覧中の右書類を奪い取りこれを以て同課長の右頬を一回殴打し以て公務員の職務を執行するに当りこれに対し暴行を加えたものである」というのであるから、被告人の右所為が公務執行妨害罪を構成すること、即ち公務員の職務を執行するに当りこれに対して暴行を加えたものであること論なく、原判決は何ら所論引用の判例に違反するところはないこと明らかであり、又かかる犯罪を構成する行為はたとえ、それが憲法二八条にいわゆる勤労者の団体行動の際行われたとしてもこれを正当化するいわれはない(昭和二二年(れ)第三一九号同二四年五月一八日大法廷判決、集三巻六号七七二頁参照)それ故所論は理由がない。また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

(弁護人野尻昌次の上告趣意)

一、原判決は「被告人は新日本窒素肥料株式会社水俣工場の工員で同工場労働組合の執行委員統制部長であるが、昭和二十八年十二月十八日午後九時二十分頃忘年会の帰途多少酒気を帯びて同市々役所前を通りかゝつた際偶々同市自由労働組合長谷本孫太郎氏外多数の組合員が越年資金要求の為同役所内に押し掛け市長不在の為所謂坐込戦術に出て右谷本等において総務課長渡辺勝一に対し善処方交渉中であるが市長不在を理由に全く相手にされないことを知るや応援の為直ちに同課長室に到り『自分は新日窒労組統制部長の林慶三だ、なぜ自由労組の要求に返答しないか、そんなものを見ないでもいゝではないか、不都合ではないか』と申向けたが依然応答もなさず沈黙のまゝ翌日開催の水俣市議会に提出すべき書類の作成、閲覧等の公務を続行する同課長の態度に憤慨し矢庭に同課長から同人が閲覧中の右書類を奪い取りこれを以て同課長の右頬を一回殴打し以て公務員の職務を執行するに当りこれに対し暴行を加えたものである」と認定し「被告人を懲役三月に処する。但し本判決確定の日から一年間右刑の執行を猶予する原審及当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする」旨の判決を言渡したのであります。

二、右の如く公務執行妨害の事実を認定した原判決には採証の法則違反事実誤認の違法があると信ずるのでありますがその点に関する説明は省略するとして右事実につき犯罪の成立を認定し主文の如く三ケ月の懲役刑を言渡した原判決は明かに大審院刑事第一部が明治四十三年(れ)一六二八号事件につき同年十月十一日言渡した判決に反するものと信ずるものであります。

三、即ち本件は第一審裁判所は「証人宮崎繁尋問調書及証第二号を除いては前掲諸証拠を綜合して考察すれば被告人が総務課長渡辺勝一に返答を促す意味で同人の机上にあつた書類を取上げて同机上に返還する(その内僅かに数秒)際同書類が渡辺勝一の右頬に触れたことは認定できるけれども之を以て被告人が故意に渡辺勝一に対し同人の職務の執行を妨害すべき暴行又は脅迫を加えたものとは為し難い」と判示し無罪の言渡をした程の事案であり、

又之を憲法第二八条及第九十九条並刑罰法規の精神に照して考察するとき容易に有罪とすべき事案でないことは明かであります。

四、斯様な零細な反法行為にして被告人に危険性の認められないのに有罪とした原判決は大審院が明治四三年(れ)第一六二八号事件につき同年十月十一日言渡した「零細なる反法行為は犯人に危険性ありと認むへき特殊の情況の下に決行せられたるものにあらさる限り共同生活上の観念に於て刑罰の制裁の下に法律の保護を要求すべき法益の侵害と認めさる以上は之れに臨むに刑罰法を以てし刑罰の制裁を加ふるの必要なく立法の趣旨も亦此点に存する者と謂はさるを得す故に共同生活に危害を及ほさるる零細なる不法行為を不問に付するは犯罪の検挙に関する問題にあらすして刑罰法の解釈に関する問題に属し之を問はさるを以て立法の精神に適し解釈法の原理に合するものとす。従て此種の反法行為は刑罰法条に規定する物的条件を具ふるも罰を構成せさるものと断定すへく其行為の零細にして而かも危険性を有せさるか為犯罪を構成せさるや否やは法律上の問題にして其分界は物理的に之を設くることを得す健全なる共同生活上の観念を標準として決するの外なしとす。而して政府に対して怠納したる葉煙草は僅々七分に過ぎざる零細のものにして費用と手数とを顧みすして之を請求するは却て税法の精神に背戻し寧ろ之を不問に付するの勝れるに如かさるのみならす零細なる葉煙草の納付を怠りたるの外特に之を危険視すへき何等の状況存せさりしときは其の行為は罪を構成せざるものとす」との判例に違反するものと信するものであります。

(弁護人比志島竜蔵、同岸星一、同萩沢清彦の上告趣意)

第一点 原判決は最高裁判所の判例に違反して判決をし、又は高等裁判所の判例と異る判断をした失当がある。

原判決によれば、被告人が水俣市役所総務課長室に於て、翌日開催さるべき水俣市議会に提出する書類を閲覧執務中の同課長渡辺勝一より該書類を奪取つた上、右書類で同課長の顔面右頬を一回殴打したか否かと云うことについて、肯定するものとして、検察官に対する被害者渡辺の供述調書、目撃証人宮崎繁の原審及第二審の供述調書、之を推定するものとして原審証人栗本広義の供述調書を挙げ、之を否定するものとして原審証人林アキノ、同審及第二審証人谷本孫太郎の供述調書を挙げ、林(労組婦人部長)谷本(組合長)は事件の発生に間接関係にありその証言も推理、推量が多く迫力がないとし、被害者渡辺の証言も、警察官に対する供述を変更しているが、被告人より謝罪し、又事件後相当期間を経過した右証言当時においては被害者に対する同情、四囲の状況等から自然証言があいまいになつたもので、先の検察官に対する供述こそ真相を物語つていると判示して、右事実の綜合証拠の内最も重要なる証拠として検察官作成に係る渡辺勝一の供述調書を掲記援用している、しかしながら被告人以外の者の司法警察官に対する供述調書が刑事訴訟法第三二八条の規定により提出された場合、同条により供述の証明力を争うために取上げられた証拠は直接犯罪事実認定の証拠とすることはできないものと云わねばならない。

果して然らば原判決は犯罪事実認定の証拠となすことのできない検察官に対する渡辺の供述調書を証拠として事実認定の重要な証拠に供した違法が存在するものと云うべく、該違法は判決に影響を及ぼすことが明かであるから原判決は到底破棄を免れない。

この点に関しては御庁昭和二七年(あ)第二七一九号同二八年二月一七日最高裁第三小法廷判決の外、昭和二五年(う)第五〇八六号同二六年六月七日東京高裁第一二刑事部判決(高裁刑集第四巻六号六三三頁)、昭和二六年(う)第一二八一号同年八月三一日福岡高裁第三刑事部判決(高裁刑集第四巻八号一〇二七頁)、昭和二六年(ニ)第二〇六八号、第一六八七号、同年九月二九日福岡高裁第二刑事部判決(高裁刑集第四巻一〇号一二六二頁)、昭和二六年(う)第四七六八号、同二七年二月一三日東京高裁第九刑事部判決(高裁刑集第五巻三号三三四頁)に明示されているところであつて、右判例に違反した原判決は当然破棄さるべきものと信ずる。

第二点 原判決は憲法第二十八条の規定に違反して判決をし、又は最高裁判所の判例に違反して判断した違法がある。

イ、原判決によれば、前述の如く被告人が書類閲覧中の渡辺勝一より該書類を故なく奪取つたことについては争がないとし、右の行為は直接公務員の身体に暴行を加へなくとも斯る行為自体が公務執行妨害罪の構成要件の一つである暴行に該当するものと解するを該罪の性質並に立法の趣旨に照して相当とすべく、またこれにより一時的にせよ公務執行妨害の結果を発生したこと洵に明かである。仮令被告人に於てその直後該書類を渡辺の机上に投棄返還したとしても、さらに右書類を以て殴打した事実がないとしても右奪取行為自体により既に公務執行妨罪は既遂の域に達したものであるから、奪取後の行為(殴打又は触れたか)は右犯罪の成否には関係ないと判示する。

この点に関しては第一審判決は「被告人が総務課長渡辺勝一に返答を促す意味で同人の机上にあつた書類を取上げ同机上に返還する(その間僅か数秒)際、同書類が渡辺勝一の右頬に触れたことは認定できるけれども、之を以て被告人が故意に渡辺勝一に対し同人の職務の執行を妨害すべき暴行又は脅迫を加へたものとはなし難し」と判示しているものである。

ロ、按ずるに本件事実は被告人は新日本窒素肥料株式会社水俣工場社員で、同工場労働組合専従の執行委員統制部長で水俣市自由労働組合長谷本弥太郎等二七〇余名が昭和二十八年十二月十八日午後五時半頃越年資金要求のため同市長橋本彦七に団体交渉に赴き同市役所前に坐込戦術を行い、同日午後九時過右組合長、組合員約十名位が同市役所総務課長室に入り、同総務課長渡辺勝一に交渉し、同九時二十分頃被告人は翌日水俣市議会に提出する書類閲覧執務中の渡辺勝一に対し「自分は新日窒素労働組合統制部長の林慶三だ、自由労組の要求に返答せんか、そんなものを見んでも話をしてやつてもいいではないか、不都合ではないか」と云つて該書類を奪取つたと云う事案であつて、要するに被告人は水俣市自由労組の団体交渉の応援のため水俣市役所に赴き、市長不在のため総務課長渡辺勝一に面接交渉し同課長が返事をしないため同課長より書類を取上げたもの(返還する迄僅か数秒)であることは争いがない。労働者が団体交渉する権利は憲法第二十八条によつて保証されているものであつて、被告人が総務課長に交渉したことについては何等非難さるべき筋合はない、さらに被交渉者である市長不在の場合同総務課長が市長に代つて交渉に応じ、公僕として応接の業務を尽すべきことも理の当然と云わねばならない、果して然らば右事実は公務執行妨害罪の構成要件である暴行行為は暴行罪のそれと異つて公務の執行を妨害するに足るべき直接又は間接的な有形力の不法行使と解釈(大審院明治四二年十一月十九日判決録一五輯一六四一頁、明治四十二年六月十日同一五輯七五五頁、同四十四年四月十七日同一七輯六〇一頁)すべきものであろうか、右書類の取上行為は被告人が団体交渉に際してその交渉に応じようとせず書類閲覧中の総務課長に対してその返事を促すため、いくらか酒気を帯びていた関係もあるが、書類の閲覧を中止させて返答を迫つたものであつて、原判決による故なく奪取つたものでなく特に犯罪を構成するものとは云へない、しかも右取上行為は刹那的な数秒の間の出来事に過ぎないから原判決に云う公務執行妨害の結果を発生せしめたとは云へない、したがつて何等不法な有形力の行使とは云へないものである。

最高裁昭和二十五年(れ)第九八号同二十六年七月十八日大法廷判決によつても、労働者がスクラムを組み検挙された事件につき警察官に対し公務執行妨害罪の「暴行」が行われたものとは認定していない、さらに大審院大正三年(れ)第二〇二号同年三月二十三日刑事二部判決(訊問中の巡査の取調を中止せしめた事件)の趣旨に照しても、本件事実は公務執行妨害罪の暴行とは認め難いものと云わねばならない、したがつて原判決は憲法第二十八条の規定並に前記最高裁、大審院の判例の趣旨に照して原判決の判断は失当であるから当然破棄さるべきものである。

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